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はじめに
スマートフォンやタブレットPCなどの電子機器のディスプレイを保護するカバーガラスとして,化学強化ガラスが用いられている。化学強化ガラスは,イオン交換によりガラスの表面に圧縮応力層を形成する事で,強度が高められたガラスである。イオン交換においては,ガラス表面付近に存在する,LiイオンやNaイオンを,より大きなアルカリイオンであるKイオンと置換させることで,圧縮応力を発生させ,ガラスの強度を高められることが知られている1)。
ガラスに導入されるアルカリイオン(Kイオン)の侵入深さ,及び,その量は,カバーガラスの強度を決定する重要な因子であるが,その製造プロセスに起因するばらつきが大きい。同一のタイプのスマートフォンについて,化学強化処理により導入されたKイオンの濃度分布をFig. 1 に示す。同機種であるにもかかわらず,化学強化層の分布状態が異なっている。
スマートフォン用カバーガラスの製造プロセスの一例をFig. 2 に示す。化学強化処理が行われたのち,研磨加工が実施される。化学強化処理における,イオン導入量のばらつきに加えて,その後の研磨加工のプロセスでの加工量のばらつきにより,同じ製品においても,化学強化層の侵入深さや濃度にばらつきが生じやすい。
化学強化層の導入が不十分なカバーガラスは,製品に組付けられて出荷されたのち,割れてしまうリスクが高い。スマートフォンのカバーガラスが破損した場合,ディスプレイモジュールの交換や,スマートフォンそのものを廃棄し,新しいものと交換する必要が生じるため,利用者にとっての不便となるだけではなく,限りある資源の有効利用の観点からも好ましくない。
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化学強化層の評価における課題
製造されたカバーガラスの全数検査を実施し,化学強化層の状態を評価する事ができれば,出荷品質が改善し,製品出荷後の使用時において,ガラスが割れてしまうリスクを下げることが期待できる。しかしながら,スマートフォン用のカバーガラスを例にとると,1工場での年間生産数が数千万枚,1日当たりに換算すると数十万枚に及ぶため全数検査は検査負荷が非常に大きい。簡易に,短時間で評価が実施できる事は重要なポイントとなる。
ガラス中のアルカリイオンの組成分布を評価する手法として,例えば,TOF-SIMSを用いる手法があげられる。Fig. 1 に示したように,ガラスに含まれるアルカリイオンの分布を評価する事ができるが,微小領域の破壊的評価手法であるため製品の全数検査には使えない。
非破壊検査の例としては,顕微ラマン分光法を用いた評価手法がある2)。化学強化処理によって生じた残留圧縮応力を非破壊で評価することが可能であるが,計測領域は微細であり,また計測に時間がかかる難点がある。
光学的な評価方法,例えば,光の吸収特性,あるいは発光特性から,アルカリイオンの存在状態を捉えることができると,全数検査の実現が期待できる。ガラスの光学的な特性については石英等などで,その吸収,及び発光特性について多くの研究がなされている3) 4) 5)。一方で,カバーガラスの様にケイ素以外の成分を多量に含む系における検討は少ない。化学強化処理の前後における,その光吸収特性および発光特性を調査し,光学的な検査手法の実現可能性についての検討を行った。
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実験方法
3. 1 実験材料の準備
GORILLA® GLASS 2(板厚1.1 mm)をモデルガラスとして検討を実施した。化学強化処理を施されたガラスは,400℃で溶融した硝酸カリウム溶融塩にガラスを6時間浸漬する事で作製した。
3. 2 評価方法
3. 2. 1 ガラス成分の評価
ガラスの構成成分については,WDX(Rigaku社製ZSX PrimusIV)にて分析を実施し,特に含有アルカリイオンの組成分布はTOF-SIMS(アルバック・ファイ社製TRIF-V nano TOF)を用いて分析した。オリジナルのガラス材料及び,化学強化処理されたガラス材料をそれぞれ切断し,ガラス表面から内部方向におけるアルカリイオンの分布について評価した。
3. 2. 2 紫外可視近赤外領域の光透過・発光特性評価
ガラスの紫外から近赤外領域における光透過特性について,紫外可視赤外分光光度計(日本分光社製 V-670)を用いて評価を行った。発光特性については蛍光分光光度計(日本分光社製 FP-8600)にて評価を行った。
3. 2. 3 X線の透過特性評価
ガラスのX線透過特性について,X線源としてキヤノン電子管デバイス製 DRX-3724HD 管球を用い,管電圧を40,70,120kV,管電流を100 mAとして,X線を照射した。透過したX線のエネルギーはunforce Raysafe製 Xi線量計を用いて計測し,空気に対する透過エネルギーを1として,ガラスをセットした場合の透過率を評価した。
3. 2. 4 X線励起蛍光スペクトル
ガラスに対してX線を照射した際の紫外から可視における発光特性について以下の条件で測定を実施した。X線光源としてキヤノン電子管デバイス製 DRX-3724HD管球を用い,管電圧を120 kV,管電流を100 mA,照射時間を0.64秒とした。X線照射によるガラスからの発光はファイバマルチチャンネル分光器(オーシャンオプティクス社製 USB2000+)に,光ファイバーケーブル(オーシャンオプティクス社製 QP1000-2-UV/VIS)を接続して計測を実施した。
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評価結果
4. 1 GORILLA® GLASS 2の構成成分
WDX により評価したガラスの構成成分比をTable 1 に示す。アルミノシリケートガラスを主成分として,その他成分としてはNa,Mg,Ca,Snといった成分が含まれる。
Table 1 Chemical composition of GORILLA® GLASS 2.
4. 2 化学強化処理されたガラスのアルカリイオン分布
アルカリ金属イオン(Li,Na,K)の組成分布をTOFSIMSにて測定した結果をFig. 3 に示す。化学強化処理をされていないガラスでは,Kイオンが検出されていない。加えて,ガラスの表面近傍ではNaイオンの含有量が低下している。化学強化処理が施されたガラスでは,Kイオンがガラス表面近傍の約50 μmに存在する事に加えて,元のガラスに含まれるNaイオンについても,表面近傍に拡散している様子が見て取れる。
4. 3 紫外可視近赤外透過スペクトル
化学強化処理の有無による,紫外可視透過スペクトルの比較結果をFig. 4 に示す。GORILLA® GLASS 2は,波長300 nm未満の紫外線を吸収する特性を有しているが,化学強化処理の有無による紫外可視近赤外吸収スペクトルの変化は確認されなかった。
4. 4 紫外可視蛍光スペクトル
紫外可視蛍光スペクトルの測定結果をFig. 5 に示す。GORILLA® GLASS 2 及びその化学強化処理品は,深紫外線にあたる200 nmから300 nmの紫外光により励起され,300 nmから700 nmの紫外光から可視光の領域で蛍光を発する。化学強化処理の前後での蛍光スペクトルの変化を比較すると,化学強化処理されたガラスでは,励起波長約220 nmによる350 nm付近の蛍光波長の発光が増強されている様子が観察された。
4. 5 X線透過特性評価
X線透過特性の測定結果をFig. 6 に示す。照射したX線は,そのエネルギーの一部がガラスに吸収されているが,化学強化処理の有無により,エネルギー吸収量が変化する様子は見られなかった。
4. 6 X線励起蛍光スペクトル評価
X線励起蛍光スペクトルの測定結果をFig. 7 に示す。X線の照射により,紫外線領域(200–450 nm)に蛍光が発生した。また,化学強化の有無により,発光のスペクトルが変化している。
化学強化前のガラスでは,発光スペクトルが最大となる波長が355 nm付近であるのに対して,化学強化後のガラスでは,その波長が340 nm付近にあり,蛍光のスペクトルが,短波長側に15 nmほどシフトしている事が確認された。また,化学強化処理されたガラスでは,350 nm未満の波長領域で発光強度が高まっている。
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考察
GORILLA® GLASS 2をモデルガラスとして,化学強化処理の前後でのガラスの構成成分の変化,及びX線,紫外線,可視光線の光吸収特性,発光特性を評価した結果,化学強化処理の実施により,ガラスの表面近傍におけるアルカリ金属イオンの組成分布が変化したガラスは,紫外線及びX線の照射による発光スペクトルが化学強化の前後で変化する様子が見られた。
ガラスの構成成分分析結果,及び,シリカやアルミナ,その他ガラスに関する構造欠陥と,発光特性に関する報告 3) 4) 5) 6)から,今回のGORILLA® GLASS 2における発光の由来を考えると,ガラス中の酸化ケイ素構造中の欠陥構造(酸素欠乏型欠陥:ODC,酸素過剰型欠陥:NBOHC),酸化アルミニウム構造中の欠陥(F center,F+ center),ガラス中に含まれる金属イオン(Sn2+,Sn4+)等に由来する発光スペクトルが複合的に変化した結果,今回の測定で見られた,化学強化処理前後での発光スペクトルの差異が生じていると考えらえる。
また,ガラス以外の固体酸化物の例をとると,Liイオンを添加した酸化マグネシウムでは,Liイオンの添加により,酸化マグネシウムの発光中心(F center,F+center)に由来する蛍光スペクトルが変化する事が報告されており7),今回のGORILLA® GLASS 2の化学強化処理前後における発光スペクトルの変化においても,アルカリイオンのガラス中での存在状態の変化が,ガラス内の発光中心に影響を及ぼした結果と推察される。
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まとめ
スマートフォンカバーガラスに用いられる化学強化ガラスを題材として,光学的な手法を用いたアルカリイオン存在状態の可視化を検討した結果,化学強化処理の前後で,深紫外線またはX線の照射により蛍光スペクトルの変化が確認され,光学的検査手法の確立に向けた足掛かりが得られたと考えられる。一方で,発光中心が固体酸化物中のネットワーク構造の欠陥に由来するものであるならば,ガラスの組成の違いや熱処理等の条件によってもその発光特性が変化する可能性があり,その発光メカニズムをより明確に解明していくことは,GORILLA®GLASS 2以外のスマートフォン用カバーガラスへの適用可能性を検証するのみならず,電池等に使用される固体酸化物中のイオンの移動状態を簡易に非破壊で評価できる可能性からも有用と考えられる。引き続き検証を進めていきたい。